バオバブだより / 本橋成一監督作品 バオバブの記憶

2009.05.15
同じ時間の流れの中で人間だけが走り出した

 子どものころ、友人に薦められて読んだサン=テグジュペリの『星の王子さま』を、ぼくはなぜだかあまり好きにはなれなかった。
ただ、小さな星をつぶそうとしているバオバブの樹のことはずっと気にかかっていた。

 そのバオバブに初めて出会ったのは、今から35年前のこと。
1年間の約束でテレビの動物番組の仕事を引き受け、主に東アフリカの国立公園を中心に撮影をしていたときだ。
初めて見るゾウやキリンやライオン、そしてその中に点在するバオバブの樹。
まるで絵本の中のようなその景色にぼくは夢中になり、動物の近くにバオバブがあると、いつも入れ込みのカットを狙っていた。

 バオバブの圧倒的な存在感に魅せられたぼくは、その後も機会があるごとに、マダガスカルやオーストラリア、インド、そして西アフリカでバオバブに出会って来た。
そうして気づいたことは、この樹がいろいろな生き物たちにとって欠かせないものだということだった。
特に人間は、葉から実、樹皮にいたるまで、食料に薬に、そして多くの生活道具に利用している。
井戸の水汲みには、ついこの間まで、丈夫なバオバブの樹皮で綯ったロープが欠かせなかったという。

 そんな昔ながらの素朴な暮らしをセネガルのトゥーバ・トゥールという村で見つけた。首都ダカールから車で2時間走ったところにあるこの村では、人々の日常にバオバブが溶け込んでいた。
村人たちはバオバブに宿る精霊を信じており、決して伐り倒すことはしないし、ご神木には祈りを捧げ、収穫の報告をする。
バオバブの葉が出始めると雨期が近いとわかり、農作業の準備にとりかかる。
バオバブの葉が茂ると男の子たちは樹に登って葉を落とす。葉は乾燥させ、粉にして、料理に混ぜる。
バオバブの実はおやつになるし、水を加えるとジュースにもなる。

 しかし、近代化・都市化の波はこの国にも迫ってきている。
近くの町では土に還らないビニールゴミが散乱し、バオバブの若木もほとんど育っていない。
ついこの間まで地球上の生き物たちと同じ時間の流れの中で生きてきたはずなのに、いつからだろう、人間だけが走り出してしまったのは。
何百年も生き続けるバオバブが、今のぼくらの暮らしを見て何て言うのか聞いてみたくなった。
(2009'3/週刊朝日)

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