星の王子さま、もう一度、地球にいらして、ご覧になってください。
この星では、ヒトとバオバブの木が、こんなにも仲良しです。
一方、そのバオバブを根こそぎにしようとしているのは、
文明というバラの花なのです。
檀ふみ(女優)
私はバオバブがどうして
あんなふうな樹型をとるのかを知らない。
でも映画を見ているうちに、
あれは私たちの精神の形そのものではないかと思えてきた。
小栗康平(映画監督)
バオバブの記憶、まさに我々一人ひとりの記憶の中にある
懐かしい風景を取り戻せれば、必ず、人が自然との共生を
当たり前にしていたことに気づくと思います。
人が人間として生きる本当の風景がここにあります。
ぜひ、大勢の子供達に見てもらいたいと思います。
60代男性(会社役員)
バオバブと人が織りなす時間。
その歌声が、交歓が、画面からあふれた。
人が生きることの煌めきとともに。
長倉洋海(写真家)
ほんとにぼくたちは時間を食いつぶしているんですねえ。
バオバブのそばには時間はない。そこでは時間は止まっている。
何千年も何万年も時間は止まったままだ。
人間が勝手に時間という座標を作り、加速させ、地球を窒息させつつある。
バオバブにもう一度時間を止めてもらうことはできないものか。
そうすればもう一度ぼくたちは人間であることを思い出せるかもしれない。
60代男性(ライター)
体験したことのない異文化の村の生活でありながら、
画面で見るバオバブのある風景に、
気づけばいつのまにか懐かしさを感じているのが不思議だ。
梨木香歩(作家)
人々の暮らしの中のバオバブが尊ばれ、使われ、祭られ、共に1000年の時を
生きてきていることが、現代の吟遊詩人のごとく描かれていて感動した。
「これからのアフリカ」が憂えるが、
そのもとにはこんなバオバブを取り巻く暮らしがあったのだということが唯一の希望だ。
50代男性(出版・博物学)
サハラの村を旅している気分になれました。
音楽も、遠くに連れていってくれる和みの音楽で、癒されました。
たった35年でずいぶん世界は変わりました。加速度的です。
もう少し、いろいろゆっくりしなくては。
40代女性(ライター)
500年、1000年という時間を生きてきたバオバブの木と、その木にいのちをもらって生きている人間。
映像をみながら「アレクセイと泉」を重ね見る思いがしました。
暮らしのすべてにバオバブの木がつながっており、人間が生かされている。
それが逆転してはいけないのだと感じます。
食べるものも学ぶことも、雨も、聖なるものも、バオバブが教えて、示してくれる。
私たちの暮らしの中にも、バオバブの木が、そして泉がなければ本当はいけないはずだと気づかされます。
いのち涌く水の物語から、いのち涌く木の物語へ、場所は違っても本橋監督のいのちを見る
一貫したまなざしを感じました。
30代男性(ライター)
ゆったりとしたセネガルの村で、村人とともに過ごしたような102分でした。
その中で、教育、保険、エネルギー、廃棄物のことなどについても
チラチラと考えさせて頂きました。
50代男性(会社員)
一本の樹に寄せる思いや暮らしは、風土が違っても同じ。
バオバブの村の風、木肌のザラザラ、雨の喜び・・・を一緒に感じる事ができました。
下中菜穂(造形作家)
私たちはどれだけ地球上にゴミを捨て、山野や改訂に資源を出すための
穴を開ければ満たされるのか。
この映画はサバンナのアフリカの作品ではない。
この大地と私たちの関わり方、ないしは私たちの文明の今を問う作品である。
勝俣 誠(経済学者・明治学院大学)
バオバブの樹の恵みを受け、村人の生活が成り立っている事に
共同体を失くしてしまった日本を思った。
60代女性
バオバブのみずみずしさ!
子ども達の可愛さ!
風のようなカメラが映す、ゆったりとした人と大地の暮らし。
林英哲(太鼓奏者)
東京に住んでいると、自然がどんどん遠ざかっている実感を失いがちですが
バオバブの樹が失われていく姿は、地球の悲鳴を聞いているようでした。
その中で力強く生きる村のみんなは生命力にあふれています。
40代女性(出版業)
人間の暮らすべき形、規模がそこにある気がします。
ピーター・バラカン(ブロードキャスター)
今の自分の生活の中に、地球、植物などとの関わりが
全くないことをあらためて気づかされました。
そのことに気づいていなかったことにもびっくりしています。
50代女性(デザイナー)
バオバブの木は、人の手のようで、皮は皮膚のようで
見ていてドキドキしました。
女性
バオバブを見ていると、日本の富士山を思い出した。そこに昔から、何百年、何千年も前からあるものは、何も語らず、何もない。しかし、受け入れの実であるがゆえに、その状況にウソはつかない。
23歳男性(ライター)
のんびりした生活の流れに明日仕事に行くことを忘れました。
30代女性
聖なるバオバブをとりまく昔ながらの生活を続ける人々。その厳しいながらもほのぼのとした日常を伝えつつ、現代文明が何を奪って行ったのかを考えさせられる作品でした。
35歳男性(NGO職員)
祭りの場面では、今、鳴っているタイコの響きとバオバブが1000年もの間、聞いてきたであろう記憶の音がシンクロしているようで、鳥肌がたちました。
37歳女性(編集者)
美しくて厳しい自然の中で生きる人々と会い、豊かなバオバブの林をいつか見に行ってみたい。人が失ってはいけないものを見た気がする作品だった。
25歳男性(会社員)
ドキュメンタリーは待つことで成り立っている。本橋は「待つ」というテーマを、「待つ」という方法で、描こうとした。
セネガルの村人たちの「待つ」と本橋の「待つ」とが共鳴する。
さらにバオバブとその周りに生きる生きものたちの「待つ」まで加わって、心地よい交響詩となった。
辻信一(文化人類学者/環境運動家)
「アレクセイと泉」の泉は母なる大地の乳だ。
人々がいかに母を裏切ろうが母は慈愛に満ちた乳を滾滾と与える。
生きとし生けるものは寄り添うように決して離れない。
「バオバブの記憶」の樹は母なる大地の智慧の泉だ。
わが身を差し出し、人々はその肉で病を癒し、道具とし、食べものとした。
大地は生きとし生けるものに智慧を与え続ける。
いく年月が流れようとも、少しも変わらない。
本橋さんの作品に流れる思想は一貫している。
ゆるぎない思想を具現化するために、遠く離れたところに行く。
大地と生きとし生けるものの原風景を求めて。
男性(映像会社役員)
今日の豊かさは、バオバブの映像が夢の中でも流れていたことでした。
明日の豊かさは、また明日見つける予定です。
ゆったりした時間をありがとうございました。
50代女性
セネガルの田舎の暮らしのもつ「豊かさ」は私には魅力的でした。
でも、都市生活をしているものが、そういうコトを言う事も安っぽい気がして・・・。
今近くにあるもの、自分がもっているものを大事にする事からはじめようと思います。
30代女性(自営業)
「豊かさ」は、ゆったりした時間、他を想いやるこころ、物への欲から解放される生活と
感じました。
今の日本人の生活から"失われてしまった"あるいは"忘れられている"時間・生き方を
反省する契機になれば、と思います。
70代男性(元教員)
R・カーソンの警鐘「植物がなくなれば、人間も死ぬ」から半世紀。
バオバブの村には、生き残る権利がある。
謙虚さを忘れ、ノサバル人間達の巻き添えをくらわずに。
神田山陽(講談師)
生きる力。活きる力。
太古の昔から人間が持って生まれつなぎ続けてきたもの、
今を生きる僕らが、それを終わらせるわけにはいかない。
20代男性(百姓)
人間は、お金を得た為に大切なものを失ったのかもしれません。
50代女性(主婦)
バオバブ。大きくて豊かな樹。
食べ物提供してくれるレストランでもあり、病気をなおす病院の役割も果たす。
不安な気持ちを癒してくれるセラピストでもある。
そして、人々の生活の指針となる偉大な師でもあり、母である。
バオバブは何にも言わないけど、
セネガルの人たちをずーっと支えてきた
その暮らしをじーっと見守ってきたんだ。
「バオバブおじさん」に、会って触れてみたい。そして、話を聞いてみたい。
石丸謙二郎(俳優)
「セネガルの樹はバオバブだ」と、セネガル人は言う。
大きなバオバブに抱かれるように家が建ち、木陰で人々が暮らす田舎の様子が好きだ。
祭りのタイコが話している。
「変わるものもあるけれど、変わらないものもあるのだ」と。
沢田としき(イラストレーター・絵本作家)
いろいろ役に立つ木、村人を守ってくれる木「バオバブ」
現代人は文明を進めるあまり、まわりにあったはずの「バオバブの木」を
どこにおいてきたのでしょうか?
これからどうするのでしょうか?
豊かなはずの日本人はなぜ不満だらけなのでしょうか?
答えはすぐ近くにありそうでみつからないのでは?
匿名